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サイクルウェア 激安が伝えたいこと

メルテンは、積極果敢に敵艦を撃沈しようとしたワインガルトナーの判断でニュージャージーに向かったにちがいないと信じている。 チャタトンは、資料館責任者のカバルカントにメルテンの主張する説を打ちあけた。
カバルカントはすぐにその説に興味を持ち、みずから調査に乗りだした。 カバルカントの調査結果を待つあいだに、チャタトンは民間防空部隊説に目を向けた。
まず、前提となる基本的な疑問をひとつ考えた。 CAPがニュージャージー沖で撃沈したと主張している一九四二年七月上旬に、ドイツ側はアメリカ東海岸にUボートを派遣したのか?その答えは、ドイツ軍Uボート司令部の日誌であるBdUKTBを見ればわかるだろう。
チャタトンは、閲覧室でその日誌を請求した。 当時、数隻のUボートがアメリカの領海で哨戒していたことが判明した。
日誌によると、そのうちの二隻以外はすべて無事にドイツに帰還している。 〈U157〉と〈U158〉とも、チャタトンたちが発見したUボートとおなじ医型だった。

チャタトンは、〈Uー157〉と〈U1158〉の撃沈に関する攻撃報告の閲覧希望を提出した。 海軍の記録では、乗組員五二人を乗せた〈Uー157〉は、一九四二年六月一三日にアメリカ沿岸警備隊の監視艇一隻によって、ハバナの北東で撃沈された。
その位置は、謎のUボートのポイントと該当する潜水艦なしは三七00キロ近く離れていた。 攻撃報告は、っけいる隙のまったくないものだった。
多数の目撃者がおり、そのUボートの破片が回収されている。 すなわち、攻撃を受けた場所で潜水艦が沈んだことを示していた。
ゆえにチャタトンは、〈U157〉、か謎のUボートではありえないと結論をくだした。 つぎに彼は、〈U1158〉の攻撃報告を調べた。
すると、もっと興味を引かれることがわかった。 一九四二年六月三O日に、アメリカの水陸両用機一機が、パミューダ沖にいた〈Uー158〉を発見した。
一五人ほどの乗組員がデッキで日光浴中だった。 潜水艦は急速潜航した。
パイロットは爆雷二発を投下し、一発がUボートの司令塔の内側にすっぽりとおさまった。 ほとんどありえないような命中だ。
Uボートが水中に潜っていったところで爆弾が爆発し、報告書によれば、潜水艦は破壊され、乗っていた五四人全員が死亡した。 攻撃報告書では、目撃者はひとり爆雷を落とした飛行機だけしかいなかった。
破片は確認されず、回収もされなかった。 となると、〈U158〉は、攻撃を受けた場所で沈没しなかった可能性が残る。
資料館は、週末は閉館するという。 チャタトンは資料をコビームーゲルーし、マニラ封筒に入れて、リッチーと書いた。
〈UJ158〉の最期の日々を-調査するのに、コーラー以上にふさわしい人聞はいないだろう。 チャタトンとユーガは、ワシントンにコ一日間滞在した。

ニュージャージーに帰る準備をしていると、カバルカントが閲覧室に立ち寄り、驚くような知らせを口にした。 「話したように、〈U1851〉についてちょっと調べてみた。
メルテンの友人が指揮していた船だ」カバルカントはいった。 「戦争中にわが国がドイツ圏内にはりめぐらしたスパイ網によって、そのUボートの貨物の内容が非常に正確に把握されていた」ふたりのダイパーはかたずを飲んだ。
ほんの数日前に、Uボートに積まれた隠し金のことをうわさしたばかりだ。 「〈U851〉は、日本行きの大量の水銀を積んでいた。
同時代の価格分析によれば、の価格にして、積荷の水銀は、数百万ドルの価値があったそうだ」チャタトンとユーガは卒倒しそうだつた。 ふたりとも職業ダイバーだ。
頭に、沈没船から水銀をポンプでくみあげる方法を思い描いた。 彼らはカバルカントに礼を述べると、まさに全速力で車へ走った。
チャタトンがイグニションにキーをさす前に、ふたりは叫んだ。 「おれたちは金持ちだ1」帰りの車のなかで、彼らは計画を練った。
ユーガは、水銀の現在の価格を調べる。 チャタトンは、積荷引きあげの合法性について、弁護士に確認する。
彼らは、億万長者になるという目標について話しあった。 数時間が過ぎて、彼らは、ょうこそペンシルベニア州へという看板を目にした。

大富豪となった自分たちを想像するのに忙しかったせいで、ニュージャージーの出口を見逃したのだ。 翌朝ユーガは、くず鉄業者と取引している自分の父親に電話をかけて、水銀の現在の価値を調べてもらえないかとたのんだ。
一時間たって、父親から電話があった。 いまは水銀は有毒廃棄物に指定されている。
業者に料金を支払って処理してもらわなければならない。 チャタトンとユーガの億万長者の夢は、ちょうど一二時間で消えた。
コーラーは、沈没した〈U158〉の攻撃報告をたずさえて、自分なりの調査を進めるためにワNAシントンに向かった。 チャタトンをまねてNHCで調査するのではなく、アメリカ公式記録保管機関へ向かった。
アメリカ独立宣言書と合衆国憲法、そして海軍関係の文書をふくめ、その他アメリカの重要な記録多数を収蔵する場所である。 第二次世界大戦後にドイツから持ち帰った文書や書類などの多くがNAに保管されていることを、コーラーは知っていた。
彼は、Uボートと指揮官について残つ一九四五年ているすべての記録を調べたいと切望していた。 あちこちの閲覧室にある登録デスクに、子どものころからあがめてきた文献の著者や歴史研究者たちの名があるのに気づいた大学に通った経験のないブルックリン出身の男にとっては、夢のようなことだった。
彼は、〈U158〉関係の資料を請求した。 係員は、山のようなファイルとマイクロフィルビームーゲルのはいった箱を持ってきてくれて、写真を調べるときは白手袋をはめるよういった。
ほとんどの資料はドイツ語で書かれていたため、調べものをしている他人の肩をとんとんとたたいて「この単語は「機関銃」という意味でしょうか?」とコーラーが尋ねると、「いいえ、「インコ」ですよ」という答えが返ったりした。 コーラーは地道に作業を進め、エルビン・ロスティン艦長の心のなかをのぞけたらと願って、〈U158〉の最後の任務と、それ以前の哨戒任務の日誌をもとに復元した航海日誌をコビームーゲルーした。

建物から出るとき、順番を待って、彼の調査内容は機密解除済というスタンプを押してもらわなければならなかったスパイ活動めいたその雰囲気を味わったコーラーは、「また第一線で活躍だ」と思った。 それから二、三日後の晩に、コーラーが呼びかけて、チャタトンの家に集まった。
前のソファにチャタトンとユーガを座らせて、コーラーは、自分の調査をまとめた風変わりな物語を語りはじめた。 一九四二年六月三O日、パミューダ沖を哨戒中のアメリカの水陸両用機一機が投下した爆雷一発が、〈UI158〉の司令塔のなかにすっぽりとおさまった。
パイロットによれば、Uボートが逃走のために潜航したとき、爆弾が爆発し、乗組員もろとも潜水艦は沈んだ。 「しかし、もしも」コーラーが睡でくるりとまわって、向きを変えてから問いかけた。
は損傷しただけだったとしたら?もしくは、まったく損傷しなかったとしたら?該当する潜水艦なし「〈U115たとえば、司令塔は損傷したが、まだ動くことはできるとしよう。 その場合、彼らはどうするだろう?」「ドイツに帰ろうとするだろうな」ユーガが発言した。
「そのとおり」コーラーも認めた。 「哨戒任務の終わりごろで、手持ちの魚雷が切れていたらとくにそうだろうね。
でもこの場合には、もっといい手段、があった。 おれが調べたところでは、このUボートは、大西洋の外洋で「乳牛」補給専用Uボートとのランデブーが予定されていた。
とすると、〈Uー158〉は、乳牛から燃料と補給物資を受けとるため、北東に向かったと考えるのがすじじゃないか?」「そうだな」チャタトンがあいづちを打った。 「ところがだ」コーラーは本筋にはいった。